画家 – 楽しくART

月岡芳年(つきおかよしとし)


月岡芳年
(つきおかよしとし)(1839~1892)

幕末から明治中期にかけて活動した浮世絵師。
歌川国芳(うたがわくによし)の弟子。

「最後の浮世絵師」と言われ、歴史絵、武者絵、血みどろ絵、美人絵、妖怪画など1万点の作品を残した。「血まみれ芳年」の異名を持つ。

『芳年武者無類(よしとしむしゃぶるい)』
『大日本名将鑑(だいにほんめいしょうかがみ)』
『大日本史略図会(だいにっぽんしりゃくずえ)』

『新形三十六怪撰(しんけいさんじゅうろっかいせん)』(1889)
画号:大蘇芳年(たいそ よしとし)(芳年最後の画号)

藤田嗣治(ふじたつぐはる)

 

藤田嗣治(ふじた つぐはる)1886年~1968年

日本生まれのフランスの画家・彫刻家。

作品: 『ジュイ布のある裸婦(寝室の裸婦キキ)』(1922年)

 

藤田はモディリアーニ、シャガール、スーチンなどとともに「エコール・ド・パリ(パリ派)」と呼ばれた。

「エコール・ド・パリ」とは1920年代のパリで制作活動をしていたアーティストたちの総称。

ピカソが藤田の絵を3時間見ていたというエピソードがある。

 

ミケランジェロ 

ミケランジェロ  1475-1564

ミケランジェロ・ブオナローティ

伊・ルネサンス

彫刻家、画家

ミケランジェロ自身は彫刻が本業だと思っていた。

彫刻
『ダビデ像』
『ピエタ(母子像)』

絵画
『システィナ礼拝堂天井画』
『最後の審判』

 

雪舟(せっしゅう)

雪舟(せっしゅう)1420-1502

室町時代の水墨画家・画僧(がそう)。本名は等楊(とうよう)

代表的な作品
・「山水図(さんすいず)」
・「四季山水図(しきさんすいず)/山水長巻(さんすいちょうかん)」
・「秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)」
・「天橋立図(あまのはしだてず)」
・「慧可断臂図(えかだんぴず)」など。

葛飾北斎


葛飾北斎
(かつしかほくさい)

1760~1849。(18C~19C。日)

江戸時代後期の浮世絵師。ヨーロッパの印象派にも影響を与える。

ダヴィンチやピカソと並ぶ日本美術史上、空前の天才。

風景画、美人画、役者絵、花鳥、物語絵など、作品は10万点以上。当代きってのイラストレーターで大衆にも受けた。

 

・常に現在の自分に満足せず、師匠を10人、画号(ペンネーム)を30回変え、引越しは93回。

・画号は北斎の他「春朗」「宗理」「戴斗」「為一」など。75歳のときに「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」という画号を名乗り、天保5年(1834年)に『富嶽百景』初編で用いた。

 

モネ

クロード・モネ(1840~1926)19C~20C。仏。
印象派を代表するフランスの画家。『睡蓮』、『印象・日の出』、『積みわら』、『ルーアン大聖堂』など。

代表作『印象・日の出』(1872年)は「印象派」の名前の由来になった。「印象派」とは自然の光と色の印象を捉えた絵画。

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モネは学生時代、カリカチュア(風刺画、漫画風の人物画)でこずかい稼ぎをしていた。16歳のころ、「空の王者」と呼ばれるウジェーヌ・ブーダンに出会い絵画の道へ進むことになる。

当時は「サロン・ド・パリ」(展覧会)に出展することが画家への道だった。テーマは歴史・古典・神話が中心。しかしモネはそのようなテーマには興味がなく絵画理論なども苦手であった。

モネはブーダンにならって戸外制作を積極的に行った。

1874年にパリで「第一回印象派展」を開催。モネの『印象、日の出』は批評家に酷評される。

 

引用:『イトウ先生の世界一分かりやすい美術の授業』